ベーグル

「赤井さ―ん!」

 朝、オフィスの前に停めてあるフードトラックの前でコーヒーを注文しようとしていると、背後から呑気な声が聞こえてきた。

「おはようございます!元気ですかー?」
「ああ」
「あ、いいですねー。コーヒー」
「……アイスラテでいいか?」
「ありがとうございますっ!じゃあ、あとベーグルも!」

 名前はちゃっかりとクリームチーズとサーモンを追加しているのだが、それに対しては何も言わず店主に対して頷いておく。横を見ると、彼女は両手を合わせ溢れんばかりの無邪気な笑みで喜びを露わにしていた。

「運が良かったな」
「わーい、ありがとうございます。頂きます!」

 名前は両手に商品を持ちながら、早速というようにストローに口を付ける。

「珍しいな。朝食、まだだったのか?」
「はい。実は今日、二度寝をしてしまって……」
「ああ、昨日は特に遅かったからな」
「そうなんですよー。でもベーグルいただいたので、もう元気です!」
「そうか、」
「あ、良かったら食べてみます?」

 そう言って名前は、ベーグルを差し出してきた。

「この、クリームチーズとサーモンの相性は完璧なんですよ!本当はアボカドも入れたかったんですけど無くて……あ!あそこ座れそうですねっ」

 彼女は少し先にあるベンチが空いていることに気づくと、返事も聞かずに駆け出していく。少しあっけにとられながらその背中を見ていると、手招きをされる。

「赤井さんー!」

 朝だというのに眩しい程の笑顔を見せる彼女は、まるでピクニックにでも来ているかのような雰囲気だ。

 名前の座るベンチの横へ遅れて腰掛けると、ぐいっとベーグルが手渡される。その行動に驚きながらも反射的に受け取ると、彼女は満足そうに笑っていた。

「美味しいはずなので、ぜひ!」

 気にせず!という言葉が聞こえ、僅かな躊躇いの後、一口齧る。ベーグル自体は好みではなかったが、確かにこの組み合わせは悪くない。

「ん……コーヒーにも、合うな」
「あ、分かりますー!いいですよね?」
「……ああ」
「ふふ、よかったです!」

 美味しさを共有できて嬉しいのか喜ぶ彼女を横目に、もう一口。確かに良いなと思いながら味わうと、ベーグルを返した。名前はそれを、躊躇いもなく頬張っていく。

「んーでも、これも良いですけど、やっぱりアボカドの存在も大きいんだなーって思いますね」
「……」
「今度はぜひ、アボカド入りで食べてみて欲しいです!」

 こちらの気も知らず、名前はベーグルの感想を一人呟いては満足げに微笑んでいる。そんな彼女の純粋な瞳と目が合い、そっと視線を外していた。

「なら、先に行く」
「え?……あっ、」
「遅れるなよ」

 それだけ伝えてオフィスへ向かう。朝から、言いようのない感情だけが残ってしまった。